久々にスカッと晴れた土曜日、真夏のように汗ばむ気候が戻ってきた。レドンド図書館、ファーマーズ・マーケットといつもの土曜ルートを回ったあと、昼をディーポで食べようとオウルドタウン・トーランスに向かった。店はマーケットからそれほど離れていないところにある。
店の前まで来たところ、困ったことにまったく人影がない。土曜日は夕食だけの営業だったりする。やむなく、まるで20世紀初めにタイムスリップしたような不思議な雰囲気のオウルドタウンを歩いて何か食べさせてくれる店を探すことにした。
オウルド・トーランスには古い建物が昔のままの姿で残っている。その多くは今も何らかの形で使われているが、街の中心が他にうつってしまった今日では、賑やかだった半世紀前の面影はもうない。
1912年にボストンから招かれた建築家フレデリック・ロー・オルムステッド・ジュニアは、ロサンゼルス南に広がる野原に工場とそこで働く人々の住居と生活に必要な商業が調和する理想的な計画都市を設計した。それはまさにこの土地を買収し開発したデベロッパー、ジャレッド・トーランスが描いた新世紀に相応しいビジョンだったのである。
この地から工業的な要素がなくなって久しいが、いまでも往年の整然とした住宅街と落ち着いた商業地区の街並みはそのまま残されている。
かつて市の中心だったオウルドタウンの市役所は移転し、旧庁舎はいまケイブルTV会社の施設になっている。
僕のお気に入りの郵便局舎は1936年に設けられた。
前から気になっていた自家醸造のビア・レストラン「レッド・カー・ブルーワリー」に立ち寄ったら、幸い土曜日も営業していた。1928年築の旧パシフィック電信電話会社の建物を再利用したレストランのドアを押して入ると、大きな醸造タンクが並ぶバーと意外に広いレストランが目前に現れた。レッド・カーとはオウルドタウンを通ってロサンゼルスとサンペドロ港を結んでいた電車の愛称。
まだ早いがせっかくなので自家製ビールをごちそうになり、コテコテのアメリカ風料理を注文した。予想どおり料理は撃沈だったが、試した2種類のビール(エイルとポーター)はまずまずの出来。仕事帰りにいっぱい引っかけるのにはいい感じの店である。
食べ残しを箱に詰めてもらい店を出ると、腹ごなしにもう少し歩くことにした。
今も残る線路の上をもはや路面電車が通ることはない。移動手段を自動車に奪われ、ロサンゼルスの路面電車システムは段階的に撤去され1961年に完全に廃止されてしまったのである。
トーランスに本拠を置く多くの日本の企業の一つ、米国ホンダ前の道路脇には桜並木が植わっている。毎年春先に徐々に咲き揃うピンクの花が通行するドライバーの目を奪う。そのはずれある古い鉄道跨橋(1912年)は、合衆国政府から歴史的建造物に指定されている。
この古い橋の上はどうなっているのか、前から興味があったので探検してみることにした。既に線路が撤去されているので、道に迷いながらなんとか橋に繋がる土手の麓に辿り着いた。坂を登り詰めるた橋の上にはいまも錆びた線路が残っていた。かつて橋の北にあった製鉄所と、南にあった大手油井用機械工場を結ぶ貨物列車用の線路だそうである。それぞれ日本の自動車会社と台湾のマルチ販売会社や日本のショッピングモールに変わってしまった今日、雑草に埋もれる鄙びた廃線の姿に時代の移り変わりを感じた。
最後に、オウルドタウンの西の外れにあるトーランスでおそらく一番有名な建物を訪れた。
1917年築のトーランス高校は、日本でも人気だったビバリーヒルズ高校白書(Beverly Hills 90210)やバフィー(Buffy the Vampire Slayer)などのTV番組や何本か映画の舞台に使われたため、全米でも一番有名な高校かもしれない。いまも90210という「ビバリーヒルズ・・・」のリバイバル番組の舞台に使われている。
僕が惹かれるこの街の魅力を少しでもお伝えできただろうか。ちなみに、当初トーランスの市名には南ロサンゼルス全域の地主だったドミンゲス家の名が付く予定だったが、他にドミンゲスという地名があったことから米国郵政から待ったがかかったらしい。結果として街を起こしたジャレド・トーランスの名が選ばれたことはとても正しい選択だと思う。
今回のランチは残念な結果になったが、次回は必ずやディーポで雪辱戦を果たすことを誓った。
こんばんは( ̄(エ) ̄)ノトーランスの街の魅力が静かにじんわりと伝わってきました~。それにしても、人影が見えない…、人がいないと街も寂しげに見えますね。電車の走ることのない線路って、なんだかとってもせつなげだ郵便局は海辺にあるイタリアン・レストランのようで、いい感じだな~。レッド・カー・ブルーワリーの料理、なんだかすごい…、あ、油が…。ビールがすすみそうではありますね。ディーポでの雪辱戦を楽しみにしております。
こんばんは。緑の公園見てますとドライバーでバシッと1発まっすぐで飛ばしたくなりますね。古い街並みが残っているのは歴史があるからでしょうね。でもあえて壊そうとしない、自然の赴くままに消えていく風景なんでしょうね。
1961年には走らなくなった路面電車の線路が残っているのですか?文化遺産とかそういういみで残してある、とか?日本じゃあさっさと撤去しちゃいそうなものなのに。60年代のファッションに身を包んだポニーテイルのおねえさんがでてきそうなドラッグストアと芝生の広場です。
≫森のくまさんあ、ありがとうございます。少しでもお伝えできたのなら幸いです。歩いている人は大変すくないです。それで一層タイムスリップしたような雰囲気に浸れます。ロサンゼルスの全盛期20年代に盛りを迎えた街の老後、と言うような趣で僕は最初に足を踏み入れてから大変気に入っています。さすがに、住みたい、とまでは思いませんが。
≫しまやんさんあはは、この間ここの街にあるそばやで昼飯を一緒に食ったゴルフ好きの友人も同じことを言ってましたよ。ここの古さは、第二次大戦前の古さなのですが、それはそれで面白いものです。街にあわせて骨董品(≒ガラクタ)屋(笑)が多いのも特徴です。
≫うまこさん80年代まで貨物列車が使っていたようですが、もはや貨車も通らなくなってしまったようです。ただ単純にコストがかかるからそのままにしているのではないか、と思われます。今では映画でしか見られないような戦前の米国の街がそのまま残っている貴重な存在です。ポニーテイルに60年代のファッション・・・なら素晴らしい限りですが、ぽっちゃりし過ぎた人が増えてかなりイメージが変わりそうです。