Feeds:
投稿
コメント

景気不景気に関係なく、ことしもサンクスギビングがやってきた。先日連邦政府が発表した2009年9月までの全米倒産件数は140万件、2008年の35%増だそうだ。このせいもあって全米の失業率は10%という高水準が続いており、財政危機が続いているカリフォルニア州では12.5%を記録した。8人に1人が失業中という状況は第二次大戦後の復員兵が溢れた頃以来の就職難だそうだ。そんな2009年のサンクスギビングも、恒例の深夜大特売を目指して車で一時間先にあるカマリヨのファクトリー・アウトレットに向かった。

サンクスギビング(毎年11月の第四木曜日)の翌金曜日は、ブラック・フライデイと呼ばれる。大恐慌が始まったブラック・マンデイ(暗黒の月曜日)に引っかけたいい方で、ホリデイシーズン開幕の「黒字の金曜日」という意味だ。全米で金曜日の開店と同時に数量限定の超目玉商品(ドア・バスターズ=買い物客がドアを蹴破って買い争う目玉商品)を目指す買い物客が小売店に押し寄せ、たいていの店で年間の1/5の売り上げが上がるホクホクの日なのである。年々少しでも先に売り上げを確保するため開店時間が繰り上げられており、一般の小売店では早朝4時5時開店は当たりまえ、アウトレット・モールに至っては金曜日深夜零時まで開店が繰り上げられている。

さて、僕らは渋滞を避けるため他の人がみんなまだ家で七面鳥を食べている頃を見計らって家を出たが、カマリヨまでの高速はいつもより随分交通量が大きかった。幸い大きな渋滞にも出逢わず夜8時過ぎカマリヨに到着すると、夕方から全商品割引セイルを開催中の大手クラフト用品専門店Michael’sに急行した。りす坊が存分にビーズ材料を買い漁っている間に、僕は広い店内を彷徨っているうちにこんなのを見つけた。中の写真は33%引き、額はなんと6割引というのでどうあっても買わずにはおけない。これも、すべて州経済のためである。

マイクルズで首尾よくショッピングの口火を切った勢いに任せて数分先のアウトレットモールに向かった。前回真夜中頃着いて駐車スペイスの確保に苦労した経験を活かし今年は早く出てきたのだが、さすがに3時間前だとだだっ広い駐車場もまだ車がまばらである。それにしても張り切って早く着きすぎた。下見を兼ねてまだ店がほとんど開いていないモール内を歩いて回ったが、さすがに時間をもてあました。いくつか先行して開店している店もあったが、人が少ないせいかまだいまひとつ盛り上がらない。そんな中でCoachの店の前を通りがかったときには、もうやる気満々の買い物客の長い列ができていた。ここにはそれほど魅力的な商品がないことを普段からチェック済みだが、今日は何か特別な出し物があるのかも知れない。

開店時間30分前に、今回りす坊の狙い目ナンバーワンのkate spadeの店の前の列に加わった。僕らが加わったときにはまだ20人ほどだったが、僕らの後ろにはあっという間に長い列ができた。もう福の神効果のことは言うまい。女性に人気の店だそうだが、今日は店内すべて50%引きと大盤振る舞いで、スペイドさんの鞄のありがたみがそれほどよくわからない僕にも人が集まる理由がわかる気がした。開店と同時に店内は大混雑、すぐに入場制限がかかっていた。これほどの人気を想定していなかったと見えて全くレジが追いつかず、店内にはジェンカのように長く蛇行する支払い順番待ちの列ができてしまった。さっさと払って他の店にも行かないといけないのに、と気が焦る買い物客の不興が募る。一触即発のきな臭い雰囲気の中で僕が代理で順番待ちしている間も、りす坊は心置きなく品定めに執心し、前から狙っていた鞄だのポーチだのやはり僕にはよくわからないものをたくさんゲットして大変満足した様子だった。

この後も買いものを続けるつもりだったが、もの凄い人出にうんざりして早々に退散することにした。おととしの同じモール、去年のベガスのモールでの体験と比べて客足が多く、購買意欲がより旺盛に見えた。ここにいる限り、不景気とか高失業率など嘘のように思えるほどの景気のよさを実感する。2010年には、もしかしたら景気が回復するかもしれない。そんな予感すら覚える光景を目にしたのだった。

電子辞書

りす坊がここに赴任する前に日本で買って来た電子辞書は、これまでの投資のなかで最善のものかもしれない。レストランで、学校で、趣味のクラスで、お医者で...と日常生活のさまざまなシーンで八面六臂の働きをしてきた万能兵器なのである。それが、行方不明になってしまった。発覚した昨日午後、彼女はパニックのあまり会社にまでメールを送ってきた。本人によると「あれがないと生きていけない」らしい。ちなみに亭主の僕についてはそこまで言ってもらったことがない。

車や家中をひっくり返してみたが見つからない。どうやら前日地域センターであったビーズ細工のクラスで机の上に置き忘れてしまったのでは、という。近所に住んでいるビーズの先生に忘れ物がなかったか尋ねに行ったが、忘れ物には気がつかなかったそうだ。折悪く昨日はベテランズ・デイで公共施設はすべて休み。教室に探しにいけず、夜僕が家に帰ったときも悶々としていた。

そして、今朝一番地域センターに向かったりす坊から携帯に電話があった。弾んだ声で、あったよ。よかった~。別のクラスが始まっていたらしいが、失礼します、とズカズカ教室に入って見回すとそのまま机の上に置いてあったらしい。普段引っ込み思案の彼女にしては豪猛なふるまいだが、それほど切羽詰まっていたのだろう。僕もこれを聞いて、電子辞書に負けない夫になろうと密かに意を新たにしたのであった。なお、それほど大事なものなら、これからはひもで首から下げておくよう申し渡したのはいうまでもない。

先日メキシコ・ラパス市にお住まいのNahoさんの日記にお邪魔したときこんな写真に遭遇。(Nahoさん無断でお借りしてマス。)

へえ、日本では叩かれっぱなしの某国営放送も遂にメキシコに活路を見いだしたのか、と思っていたら、先日出かけたウエスト・ハリウッドのハロウイン仮装大会にも

なぜか登場して違和感を大放出していた。そして、信号待ちでふと無防備に横を見上げた先には…

いったい、なにが起こっているのか?もしかして壮大な陰謀なのか!ちなみに、僕はデザインが安易なコイツも経営が安易なコイツの出身局も気にくわない。一日も早く出身国に出戻って安住の場所を見つけることを祈っている。

ハロウイン

毎年ハロウインの夜には、ウエスト・ハリウッドの大通りにコスチュームに身を包む人々が集う。ハロウインが土曜日に当たる今年、この有名なお祭りに行ってみた。

サンタモニカ大通りは西のサンタモニカ海岸から始まり、約16マイル東でサンセット大通りに合流するまで街を横切って走る通りだ。毎年10月31日、そのちょうど真ん中辺にあたるウエスト・ハリウッド市の約1マイル(1.6キロ)から交通が閉め出され、仮装カーニバルの会場が作られる。

ウエスト・ハリウッド(一部ではWeHoと呼ぶ人もあるが、ちょっと滑稽)は1984年ロサンゼルス市から独立した街で、若者が集まるナイトスポットが多いこと、ハリウッドとビバリーヒルズの間にあることからセレブ目撃情報が多いほか、全米でもゲイ人口の多い地域であることで知られる。

さまざまなコスチュームに身を包んだ人々が広い通りを練り歩く。目を引くコスチュームには人がたかり、自慢げにカメラの集中砲火を浴びていた。この夜のように、男性のカップルが仲睦まじく手を繋いで歩く姿は、ロサンゼルスでは比較的珍しい。あるステイジでちょっと怪しげなショウ(下の写真)を見ている間、隣で仲のよいカップル(♂+♂)のいちゃいちゃが気になってショウに身が入らなかった(りす坊談)とのこと。気がつくとこのショウを見ているのは男性ばかりだった。

板についた女装コスチューム、おむつ姿のおじさん、血まみれの外科医とフェロモン全開の看護婦さん...普段の生活ではなかなか見られない光景だ。その様子はこちらでぜひご覧下さい。1時間も通りを歩くと、もう充分という気分になる。いつかは見るだけでなく夫婦で参加しよう。なかなかその日は来なそうだけど。

【参考】会場一帯で交通規制が行われるのと、何十万人の参加者と見物客の車で集中するため、周辺の交通渋滞は殺人的だ。将来行こうと思う人は、とにかく早い目(開始の6時頃)に現地についておくことが重要。市が用意する周辺の立体駐車場(15ドル)は、そこに車で近づくだけでも大仕事。帰り道夕食に立ち寄ったビバリー・センター(徒歩20分)の大駐車場に車を停めて、そこでコスチュームに着替えている人も多かった。

30分以内に配達できない場合お代はいただきません。

ドミノ・ピッツァが掲げていたこのポリシーは、さぞかし売り上げに貢献したにちがいない。実は、僕自身もかつて配達の遅れを期待しながら注文したひとりである。恨めしそうな配達人からタダでピッツァをせしめたこともある。しかし、配達を急ぐ車が起こした死亡事故の管理責任を問われ数年分の利益を吹き飛ばす賠償金を払う羽目になったドミノは、1993年に配達時間保証を一切廃止した。

今日のお昼取引先から差入れのあったピッツァの箱を見ると、なにやら「30」の文字が...。

アツアツのピッツァをほおばりながら、また30分保証?懲りない奴らだな、と箱をぐるり見たところ、"You Got 30 Minutes"(配達までの30分ご自由にお使いください)とは書いてあるものの、お代はいただきません、とも、割引します、とも一切書いてなかった。昔の太っ腹な保証に比べて誤解を狙うような姑息なやり方ではあるが、やっぱり懲りたと見える。

ところで箱の横に30分で配達できなかった理由をチェックする欄があった。なし(時間通り) 悪天候 道路工事...ときたあと

宇宙人による誘拐。誘拐されてたのなら仕方ないな~。

それはないよ

子供時代からマカロニ・ウエスタンという言葉を聞いて育ったせいか、いまだに若き日のクリント・イーストウッドさんを見るとマカロニ・サラダを連想してしまう。数多いイタリア製西部劇の中でも、セルジオ・レオーネ監督の三部作「荒野の用心棒」(英題:A Fistful of Dollars)「夕陽のガンマン」(For A Few Dollars More)「続夕陽のガンマン」(The Good, the Bad and the Ugly)は、マカロニウエスタンの最高傑作だと思う。名監督の手腕、クリントさんの眼光に加えて、なんと言っても音楽がいい。区別のつきやすい邦題ならもっといい。枕が長くなったが、僕はイタリアの偉大な映画作曲家、エンニオ・モリコーネさんのファンなのである。

このように子供時代から彼の音楽に慣れ親しんでいたくせに、実は彼の名前を認識したのは20年ほど前、映画「シネマ・パラダイス」の主題曲がヒットしたときだったと思う。あの甘い感傷的なメロディには、まさにジェラートのようなイタリアの匂いがあった。この曲を聞いたとき、まさかあのマカロニ・ウエスタンの作曲者がこんな曲を書いたとは夢にも思わなかった。ほんとびっくりした。

そして時は今年に戻る。夏前にロサンゼルス・フィルから送られてきたカタログに「エンニオ・モリコーネ/ワンス・アポナ・タイムイン・ハリウッド」の文字を発見したとき、激しい胸の高鳴りを覚えた。クリントさんのあの音楽を、作曲者ご本人の指揮で聴かせてもらえる!それもたった一夜限り!気がついたら、あっというまにチケットを申し込んでいた。切符が送られてきて、もう気分はマカロニである。今週日曜のハリウッド・ボウルでの夕べが待ち遠しくて仕方ない。雨期に入ったので天気が心配だったが、僕らの天気運のおかげか、今週末真夏の気候ということだ。

そして今朝のこと。主催者から、コンサートがキャンセルになったという素っ気ないメールが入った。おまけに手数料4.05ドルはお返ししませんだとぉ?ところで、なんだその半端な数字は!

というわけで、今夜はふてて「荒野の用心棒」を見ている。詳しい事情は分からないが、80歳を超えるご高齢を考えれば仕方ないのか。それにしても、返す返すも残念なことだ。

しばらく曇りや雨の日が続いてもうすっかり秋だなあ、などと感慨に耽っていたら、また真夏のような日が戻ってきた。まったく油断も隙もない。今夜の気象情報によると、いつも比較的涼しいレドンドでも最低気温20℃、最高気温31℃としっかり真夏日を達成した。午前中買いもの帰りに高台からレドンドの砂浜を見下ろすと、海水浴にうち興じる若者たちやビキニで日向ぼっこしている女性たちで賑わっていた。そんな様子を見ているだけでもジリジリ日焼けしてしまいそうだった。(注:ビキニの写真はありません。)

買った果物などを家に置いてから、あてもなく海沿いのドライブに出かけた。映画スターの海辺の別荘が多いマリブまで行ったが、道路脇も駐車場も車で一杯で、途中ショッピングモールでトイレ休憩だけしてそのまま引き返してきた。どうやらこの陽気で皆が海に集中してしまったらしい。少し考えれば分かることだが、天気のいい日に車で海岸に行くのは得策ではない。

特に目的があったわけではないのでそんなことも気にならず、帰りに通りがかったサンタモニカにふらっと立ち寄った。砂浜を見下ろすパリセイズ公園から太平洋に目を遣ると、午後遅くになってもまだ強い陽光をキラキラ反射した海がまぶしい。逆光気味だが、写真のずっと向こうの山なみの麓がさっき走ってきたマリブの方角だ。

市営駐車場に車を停めて、久しぶりにサード・ストリートのプロムナードを歩いた。いつ来ても世界各国から訪れる観光客で活気があるところだが、今日はいい天気のせいでいつもに増して人出が多かった。プロムナードには人気のアパレル店を中心に、レストラン、雑貨店が延々と並んでおり、いつでもいろんな大道芸が見られるロサンゼルスでは珍しい観光地である。僕らはもはや滅多に来ないが、いまでも来ればそれなりに楽しめる場所だと思う。

さて、今日いちばんのめっけもの。ガラス細工のパンプキン・パッチが店開きしていた。

通りがかりに立ち止まる人は多かったが、売れ行きはいまひとつ捗々しくない様子だった。季節感があり、なかなかいいアイデアではあるんだけど。

サンタモニカは、シカゴから4000キロ続くルート66の終点でもある。1930年代以降成長する若きアメリカの象徴でもあったルート66は公式には85年に廃止されたが、いまでも多くの人々のノスタルジアの対象だ。サンタモニカから出発して道すがらいろんな街に立ち寄りながら、この旧街道をのんびりシカゴまで走ることが、僕の定年後の計画第一号である。

毎年恒例の海外法人責任者会議で日本に一時帰国していた僕の会社の社長が、日本からのおみやげといって、これをくれた。

その効能よりも、一部の若い人たちの「異常行動」が先行して報道された例のクスリである。これって、処方箋とかいるんではないでしょうか。でもせっかくの好意なのでありがたくいただいた。

聞いたところでは、タミフルは中華食材の八角から製造されるらしい。Wikipedia日本語版によると、やっぱり「八角を食べてもインフルエンザには全く効果はない」らしい。なるほど。もし効果があったなら、香港型インフルエンザが世に広まることはなかっただろうな。

ここからつづく】

氷河ツアーから戻って、センターのカフェテリア(コックさんが中国人なのか激しく場違いな中華料理あり)でチャウダーとピッツァの簡単な昼食を済ませ、引き続き北に向かった。ぶっちゃけた話、僕のなかではこれで今回の旅行の峠は過ぎたも同然なので、あとは気楽である。これまであまり関心を引かれなかった小さな標識にも眼がとまり、いくつか自称「観光スポット」にも立ち寄ったがいずれも予想どおり小ネタ的存在だった。たとえば、氷河ツアーからすぐのところにあるサンワプタ滝はこんなだった。

だから、僕の中ではこれくらいでは滝じゃないって(笑 まあ、そういうことももはやあまり気にせず、ゆっくり走って4時前にジャスパーのすぐ南にあるウイスラーズ山の麓にあるトラムウエイ(ロウプウエイ)の駅に着いた。一度くらいカナダの山に登っておこうと思ったのである。

1964年創業のジャスパートラムウエイは、標高2277メートルのウイスラーズ山頂駅まで約5分で登る。トラム内部が回転しない以外は、いつかパーム・スプリングズで乗ったトラムと同じような感じだ。運賃は往復ひとりたった28ドル。これはお手頃!…なわけはない。

空に近いウイスラーズ山からは周辺を囲むロッキー山脈がぐるり一望にできる。それにひんやり涼しい空気が爽快である。この高度では木は一本もなくコケなどツンドラ植物しか生息できないそうなので、見たところ山肌は丸坊主だった。眼下にはこれから向かうジャスパーの街とその北(写真の左)にあるパトリシア湖とピラミッド湖が見えた。もはやハイキングするほどの熱意はなかったので、風景をひとしきり堪能したらジャスパーに向かった。率直にいうと、トラムには払った料金の値打ちはなかった。

ジャスパーは人口4500人程度の小さな街だ。ジャスパー国立公園の中心の集落で、古くからこの地域の交通の要衝でもある。僕らの訪問には特に目的があったわけではなく、氷河ツアーのついでに北の端にあるこの街をちょっと覗いてみようと立ち寄っただけだった。ジャスパーの宿は市街地に集まっているが、せっかくここまで来たのだから街からほんの少し離れて泊まることにした。街のすぐ裏の林の陰にあるパトリシア湖畔にはキャンプ村があり、今夜はそこに宿を取ってある。

街につくと車を道路脇に停めて、さっそく探検に出発だ。ジャスパーはぐるっと歩いてもせいぜい1時間で見終わってしまう小振りな街で、観光のメッカ、カリフォルニアから来ると観光地としてはかなり寂しい。街の片側にはカナダ国鉄のジャスパー駅があり、ひっきりなしに貨物列車が発着していた。驚いたことに、こんな小さな街にもちゃんと日本食レストランがあって、窓には日本語の求人広告が張り出してあった。どれだけの日本人が住んでいるのか不明だが、少なくとも日本語で寿司職人見習いの募集広告を出すくらいの数はいるようだ。

歩いているうちにちょうどいい腹具合になってきたので、散歩中に選んだ数軒の候補のなかから厳選して、通りに面した建物の二階にパティオがあるレストランに入った。希望通りロッキー山脈を見渡すパティオのテイブルをもらい、さっそく大至急お願いしたのがAlexander Keith’sの生ビール。どうやら地元でも人気の店なのか、僕らが座った後あっという間にパティオの席は満席になった。あるいは、カナダでも福の神効果発揮ということか。

思えば、遠くまで来た。こんな遠くまで来て、素晴らしい山々を眺めながら旨いビールが飲めるなんて、幸せすぎて胸が詰まる思いである。いっそ二度あることは三度やってしまおう、というのりで今夜も僕はアルバータ牛に決定。牛を喰らわば皿までだ。あんまりアルバータの牛が旨いのでカナダに来てから毎晩ステイキなんだよ、とウエイトレスさんに話しているのを聞いた隣のテイブルの年配のご主人が、肉がよほど好きなようだね、と笑いかけてきた。はい、かなり好きです。つい話が弾み、若い頃スポーツ関係の仕事(そういえば彼はレスラーのような体格だった)で行った先の東京で食べた神戸ビーフは最高だったよ、とこちらを持ち上げてくれたので、あえて東京と神戸が600キロ離れていることは伏せておいた。こんな広い国の人にとって、どうでもいい些細なことである。今回出逢ったカナダ人たちの愛想のよさは、いつまでも心に残るいい旅の想い出になりそうだ。

旨いビールと旨いビーフを腹に収めると、満足な気分で今夜の宿にむかった。それは、街からほんの5分でいきなり林間キャンプが楽しめる気軽なリゾートだった。

ここでは、トレイル歩きとカヤック・ペダルボウトの水遊びができるほか、露天ホットタブ、バーベキューグリル、キャンプファイアなどおよそキャンプに必要なものがすべて揃っていた。予想を大きく上回る秀逸さのあまり、たった一泊しかしないことを残念に思い始めた。そんな感想や今日のできごとを話しながら夕暮れ前の湖畔をりす坊と散歩して暖炉の火で暖まったバンガロウに戻ると、あっという間に眠りに落ちてしまった。

明けて翌朝、りす坊が準備している間に早朝の湖畔に散歩に出かけた。ひんやりした朝の林を通り抜けて、昨夕の湖まで歩いた。静かな湖畔の朝の空気が清々しい。湖の向こうに聳える山はその名のとおりピラミッドのように尖った形をしている。昨日のウイスラーズ山のてっぺんから眺めたときもひときわ目立っていた山だ。しばらくするとりす坊が追いついてきたので、朝食を探しに街に向け出発した。少し走ったところで、とうとう出たぞ。

おかあさん鹿と子鹿2頭。この瞬間、寝惚けモードだった車内のテンションが急上昇、そのテンションは朝食が終わるまで続いた。朝食後宿に戻ってチェックアウトして、ふたたび街に戻る同じ道を通ったとき、こんどは(たぶん)おとうさん鹿が僕らを見送りにきてくれた。家族総出で見送りしてもらえるなんて、これでもう思い残すことはない。

来た道をずっと引き返して、約5時間半の行程をカルガリーまで戻る。途中、路肩に何台か停まった車から人が出て高い岩山を見上げているところに遭遇した。僕らも車を道端に停めて、見上げているひとりに何を見ているのかと尋ねると、上の方に指を指して、シープがいるようだと教えてくれた。双眼鏡とズーム付きカメラでそれぞれ見上げたら、どうやらマウンテン・ゴウト(山羊)の家族が20メートルほど上の岩場を行ったり来たりしているのが見えた。それにしても、最初に見つけた人はあんな米粒のような動物の姿をどうやって見つけたのか、すっかり感心させられてしまった。

やがて天気がどんどん崩れて曇り空から雨が降りはじめたが、すでに観光打ち止めの僕らはぜ~んぜん気にならない。これからの週末をロッキーで過ごすそうと北に向かう対向車のみなさんにはお気の毒だが。ほんと、カナディアン・ロッキーは天候に恵まれないとまったく印象が変わってしまう。最後にトイレ休憩で立ち寄ったバンフでコーヒーを買い、青空を背景に聳える山の風景を目にしっかり焼き付けて一気にカルガリー空港に向かった。

相変わらずガランとしたカルガリー空港の米国向け専用ゲイトには、米国の税関と入国審査を行うイミグレイションの出先窓口が設けられている。つまり、カナダにいるうちに米国の入国審査が終わってしまうのである。昔は米国の運転免許証を見せれば米国向け飛行機に乗れたが、いまはパスポートがないと通過できなくなっていた。

入国審査を無事通過し、ロサンゼルスに戻る飛行機に乗り込んだ。僕らが飛び立った夕暮れ時のカルガリーは、出発の朝のロサンゼルスと同じ深い霧だった。

初雨

遂に雨期が始まった。雨が少なかった去年の雨期は10月末になっても霧雨くらいしか振らなかったが、今年は10月半ばから少々気合いの入った雨が降った。

最後に降ったのがいつか思い出せない(2月頃?)くらい久しぶりの雨のせいで、車の流れはすっかりスピードが落ちてしまう。今日くらいの雨ならまだ平気だが、もう少し強く降ると下水が溢れ、山火事の被害を受けた地域では土砂崩れの心配が出てくる。僕の会社では今週後半に雨期前の定期屋根点検を予定していた矢先で、タッチの差で先を越されてしまった。

その一方で、ホコリが溜まった車をさっぱりきれいにしてもらえるという恩恵がある。僕にとっては、これからまたしばらく洗車が不要になるシーズンの始まりである。