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ここからつづく】

果たして今日はタオス・プエブロでは普通の日だった。一人10ドル(学割5ドル)の入場料とカメラ持込料を払い、いざプエブロ内に潜入だ。

入り口すぐのところに横たわるプエブロの共同墓地を通り

学校の運動場くらいある広場に進む。広場の間には細い小川が流れているが、今の季節は当然カチカチに凍っている。この広場を挟んで北と南にアドビで造った多層の集合住宅がある。ところでたびたび出てくるアドビというのは、土とわらと水を混ぜ合わせたものを型に入れ天日で乾燥させた煉瓦のことである。煉瓦をつなぎあわせるのにもわらを混ぜた泥を使う。アドビの壁は1~2メートルの厚みがあることが多く、断熱効果も遮音効果も抜群である。

タオス・プエブロは米国で一番古くから人が住みつづけているコミュニティで、およそ1000年の歴史があるといわれている。「顕著な普遍的価値を持つ」建物として1992年にはユネスコの世界遺産に登録された。電気も水道も通っていないが、およそ150人がいまもここで常時生活しているそうだ。アドビ建物の広場に向かう側にある部屋の多くは観光客向けの装飾品や陶器などの土産店になっているのだが、二日前のような祝祭の日には営業が全面的に禁止されるそうだ。

狭い戸口をくぐって中に入ると、そこは暖炉の火で暖まったこぢんまりとした店だった。ガラスのショウケイスや棚には手作りの銀製品や陶器が並んでいる。僕たちを愛想よく迎えてくれた若い女性がここでの風習の話をいろいろと説明してくれた。二日前の動物の面の儀式はどういう意味があるのかと尋ねたら、毎年冬至の時期に食料として犠牲になった動物への感謝を表す儀式だということだった。建物といい、生活様式といい、自然を大切にして生きる人々なのだ。物静かに語る彼女の声を聞いている間、パチパチ小さな音を立てている暖炉から清々しい香りが立ちこめているのに気がついた。部屋を清めるため薪と一緒にスギの葉とセイジで作った束を燃やしているのだという。

気に入ったターコイズの装飾品を見つけようとりす坊が血眼になっている傍らで、僕はアドビの住居の中を見ているだけで十分楽しい。白く塗られた室内は素朴ながら清潔に感じられ、なんといっても部屋の角にある小さな暖炉がいい。ただ、アドビ住居には前に書いたとおり電気と水道がないだけでなく、トイレもないらしいので、タオスの寒い冬の夜に外に用を足しに行くのはかなり辛いかもしれない。

プエブロ入り口近くにあるサン・ジェロニモ教会は1850年に建てられた教会。このプエブロでは新参の建物である。プエブロでは原始宗教、アメリカ原住民起源のペヨテ教、そしてローマン・カソリック教の3つの宗教が信奉されているそうだが、大半の原住民はキリスト教徒とのことだった。なお、この教会もアンセル・アダムズの題材になった。

りす坊に従って店をのぞいて回ったあと、僕らのフライドブレッドを目当てに自主的にガイドを買って出た人なつっこい犬に連れられて南側の建物を歩く。名残は尽きないが、これを見納めにプエブロを後にした。ここで会った原住民の皆さんには、風貌も言葉も風習も、どことなくアジアを感じさせる懐かしさがある。僕らにはずっと遠い血の繋がりがあるのかもしれない。

タオスから北西に30分ほど走ったところに深い峡谷にかかる鉄橋があるというので、ここまで来たついでに足を伸ばしてみた。この高さ240メートルの鉄橋の下を流れるのが、コロラドに端を発し、南にアルバカーキ、エルパソを通ってテキサスとメキシコの国境をなすリオ・グランデ、別名リオ・ブラボーである。鉄橋の上から深い谷底を見下ろすと、急に心拍数があがり、いつものように足がすくむ。峡谷の遙か下を流れる川の水量は、季節的なものかそれほど多くはないようだった。骨まで凍ような風が吹く橋のたもとで土産ものを並べていたおばさんの屋台をのぞくと、ニューメキシコ州柄の25セント玉をあしらったマネークリップがあったので一個譲ってもらった。そのお礼?に、最近舗装されたばかりのサンタフェへの近道を教えてくれた。

深い渓谷の底までどんどん下りていくその近道を通ってサンタフェに戻る途中、今日の締めくくりにちょっと寄り道をしてアビキューという小さな村落に立ち寄った。地図がないので道に迷ったが、なんとか1888年に建てられたその村の教会を探し当てた。小さな村落の場合、たいてい古い教会はその中心あたりに見つけることができる。周りの土地より高台にあるアビキューの村にはまったく人影がなく、ぽっつりと立つ古い孤独な教会の姿はまさに僕が想像していたニューメキシコの教会の姿だった。これだけまとめて教会を見ても、まだまだ感動が薄れていない自分にちょっとびっくり。

アビキューは今でこそどこにでもあるような山奥の小村だが、1730年代にはニューメキシコ準州で第三の人口を抱える入植地だったらしい。当時スペイン人に売買されたり奴隷にされたアメリカ原住民が多く住むスペイン圏のフロンティアの集落だったのである。まだメキシコの統治にあった1829年には、アビキューから豊かなロサンゼルスまでの交易ルート、通称スパニッシュ・トレイルの起点となったそうだ。なお、この村落のすぐ近くにジョージア・オキーフが98歳で亡くなる1949年まで晩年を過ごしたゴウスト・ランチという別荘がある。(いまはキリスト教関係の施設になっているらしい。)

たまたま古い教会を見に立ち寄った寂しい村落で僕らが住むロサンゼルスとの意外な絆を見つけ、僕は静かな興奮を覚えた。その隣で、りす坊は今晩の夕食の心配をし始めていた。

ここにつづく】

ここからつづく】

ニューメキシコには16~17世紀に植民化と布教のためメキシコ経由でここを訪れたスペイン人の影響が今日まで色濃く残っている。その顕著な例は、数多いスペイン語の地名のほか、いまも住民の3割が話すスペイン語である。これは同じくスペインの植民地だったカリフォルニアと共通の特徴だが、いずれの州も公式書類は英語、スペイン語両語で発行されることになっている。これに加えて、集落ごとに立つ古いミッション教会はスペイン人がもたらした貴重な遺産といえるだろう。

ニューメキシコでの3日目の朝、まずホテル近くにあるサンチュアリオ・デ・グアダルーペ(グアダルーペ寺院)に散歩に出かけた。ここのグアダルーペ寺院は18世紀終わり頃に建てられた教会で、グアダルーペの聖母を祀る教会のなかで米国一古いものだそうだ。いまは米国南西部を代表する1793年の油彩画をはじめ、サンタフェ大司教管区が蒐集した宗教的美術品を展示する美術館になっているらしいが、早すぎたせいかまだドアは閉まっていた。

グアダルーペの聖母というのは、1531年、いまのメキシコシティ郊外に聖母マリアが現れキリスト教に改宗した原住民の農夫に教会の建立を命じたとき、男のマントに浮かび出た聖母像(写真手前の聖母像がそのイメージ)のことを指す。聖母像が現れたマントはバチカンが公式に奇跡と認めており、いまもその地に建てられたグアダルーペ教会で公開されている。メキシコの本家グアダルーペ教会はカソリック界最大の巡礼地となっているそうだ。

美術品ギャラリーが多く集まるキャニオン・ロウドを突き当たりまで行ったところにあるクリスト・レイ教会は1940年に建てられた比較的新しい建物だが、アドビで建てられたもののうち全米最大の教会だそうだ。僕らが訪れたときは、ちょうど日曜の礼拝に地元の教徒さんたちが集まり始めた頃で、みんな僕たちに穏やかな笑顔を投げかけて次々と教会の中に入っていった。

初日に立ち寄ったタオスをもう少しゆっくり見てみたかったので、3日目の今日は別の予定を変更してもう一度タオスに向かうことにした。上の写真は、サンタフェのすぐ北の高速沿いにあるキャメル・ロック。今回は時間に余裕があったので高速を降りて間近に見にいったが、予想通り座るラクダににている岩にすぎなかった。雪の上の足跡を見ると、結構たくさんの人が僕らと同じように騙されて?高速を降りて来たようだった。

高速と交差する道路の陸橋にユニークなデザインが描いてある。いくつか通り過ぎてから気がついたが、陸橋に書いてある文字は通過中の原住民居住区の現地語の名前のようだった。ちなみに、Posuwaegehという現地名は、昔のスペイン人の耳にはPojoaque(ポワケ)と聞こえたようだ。アメリカ原住民の部族が多いニューメキシコらしい面白いアイデア。

タオスのすぐ手前のランチョス・デ・タオスという村落にサンフランシスコ・デ・アシス教会という200年物のアドビ作りの教会がある。あまり広くない教会の周辺には日曜の礼拝に集まった車がぎっしり停まっていて、駐車場所というよりむしろ身動きする隙間すら見つけることすら大変だった。このあたりにも敬虔な人が多いらしい。無理矢理車を停めて教会の周りを歩いてみた。

教会の名になっている聖フランシスコというのは12世紀イタリア・アッシジ生まれの聖人で、新世界の布教活動に多くの宣教師たちを派遣したフランシスコ修道会の創設者である。北カリフォルニアの大都市もこの聖人にちなんだ命名で、同名の教会(1776年建立)がある。普遍の愛と無私無欲に目覚め、現代の今日に至るまで多くの信奉者に慕われる彼の生涯は、1960年代のフラワーチルドレン文化に重ね合わせた「Brother Sun Sister Moon」(1972)という美しい映画に描かれた。なお、ここのサン・フランシスコ教会は、ジョージア・オキーフやアンセル・アダムズが作品の題材にした教会としても有名らしく、「初期スペイン人が残したもので一番美しい建物の一つ」といったジョージアさんの言葉が残っている。全く同感。

タオス・プエブロへ向かう道からちょっと脇道にそれたタルパという小さな集落の、道路沿いにある鄙びたサン・フアン・デ・ロス・ラゴス教会に立ち寄ってから、タオス・プエブロに向かった。今回はゆっくり中を見て歩ける日であることを祈りながら。

ここにつづく】

ここからつづく】

明けて12月26日、相変わらず寒いながらも朝から晴れ上がり、格好の観光日和になりそうだ。部屋を出ると、目の前にこんなのがぶら下がっている。

チリペパーの名産地であるニューメキシコでは、チリは食材として使われるだけでなくこんな装飾品になってしまう。写真はサンディアという種類のチリから作ったニューメキシコの伝統的な装飾品でリストラと呼ばれる。本来はチリを乾燥させて保存するのが目的だが、魔除けの意味もあるらしい。街中至るところで見かけるリストラは色彩が淡泊な冬の風景に程よい風味を加えている。

ホテルのバッフェでしっかり朝食を腹に収めると、車を置いたまま歩いて街の探索に出かけた。最初に向かったのは、ガイドブックに必ず出てくるプラザ近くのロレット礼拝堂。ゴチック・リバイバルの建物自体は珍しくないが、奇跡の階段と呼ばれる螺旋階段で有名な教会だ。どういうわけかニューメキシコには奇跡が多い。

1887年にこの場所にパリのサン・シャペール寺院そっくりの教会が完成したとき、6メートルの高さにある合唱隊席に登る階段がなかった。そこでシスターたちは大工の守護神聖ヨゼフ(=イエスのパパ)に9日間熱心に祈りをささげ助けを求めたところ、どこからともなく一人の職人が現れ、この螺旋階段を作って立ち去ったというのである。作られた階段には鉄釘が一本も使われておらず、階段を支える柱がないことからいつの頃からか奇跡と呼ばれるようになった。正直なところ奇跡というにはやや物足りない気がしないでもないが、確かに見事な大工仕事ではある。果たしてひとり3ドルの入場料の値打ちがあるかどうかについては諸賢のご判断に委ねたい。

ロレット礼拝堂で奇跡を目撃したあと、同じ旧サンタフェ・トレイル沿いにあるバリオ・デ・アナルコ歴史区域に足を伸ばした。この地域には、米国で一番古い(と自称する)サン・ミゲル教会、米国一古い(と同前の)家のほか、数軒のボロい年季がこもった建物が保存されている。このなかで一番見栄えのするサン・ミゲル教会は1626年に初代が完成して以来4世紀のあいだ繰り返し改修・改築が繰り返されたが、いまでも1710年当時のアドビの壁が残っているそうである。この教会は外観だけ見させていただくことにした。

休み明けで再開したダウンタウン界隈の商店を見て歩いたが、いずれもアメリカ原住民が作ったターコイズと銀の装飾品、幾何学模様があしらわれた素焼きの陶器や織物など、同じようなラインアップですぐ飽きてしまう。どの店にも寸分違わない製品が置いてあるって、もしや中国からコンテナ船で渡来したものでは?

プラザ周辺にはいくつか美術館が集中しているが、その中から厳選してジョージア・オキーフ美術館を訪問した。ジョージアさんは1920年代に米国の美術界を風靡した画家で、ニューメキシコの自然と風物をモデルにした彼女の作品はアメリカの美術が欧州に広く紹介されるきっかけになったそうだ。美術館に入るとちょうど館員による作品の鑑賞ツアーが始まったところだったので、しばらく不可解な絵の解説や訪問客たちとの熱のこもった質疑応答を聞いていたが、まるで美術学校の抽象芸術の講義を聴いているような落ち着かない気分になった。館内に展示されているそれほど多くはない作品を一通り見て、早々に退散。頭脳構造が単純なのか、抽象的なものには即座に拒絶反応が出てしまうのである。

プラザに接する一辺は、米国でもっとも古い政府建物といわれているパレス・オブザ・ガバナーズという平屋建てのアドビ建築で、スペイン統治の時代から20世紀初めまで歴代の統治者の官邸として利用されていた。いまは僕が好きそうな州立の歴史博物館になっているが、残念ながらクリスマス休暇で閉館のままだった。この建物の前の長い回廊には原住民のアーチストたちがラグを敷き、延々と続く銀細工の露店を店開きしていた。冷やかしの観光客に混じって品定めするりす坊の眼差しは真剣そのものだ。

それほど広くはないダウンタウンをぐるっと歩いて回ったあと、ホテルに車を拾いに戻った。しっかり凍ったボトルウォーター持参で、これから本日の目玉、町から約1時間のところにあるペコス国立歴史公園に向かうのである。

ペコス歴史公園は西暦12世紀に原住民のペコス族が築いた集落(プエブロ)跡である。1450年頃には人口2000人の大きな要塞に成長し、周辺の交易の中心地だったようだ。公園内の小高い丘の上には当時の建物の基礎部分が発掘され整備されている。スペインの探検隊は1540年にこの地を訪れ、友好的に交流したがそのまま一旦立ち去った。1621年(日本では江戸時代が始まったころ)に彼らが再びここに戻ってきたときには、プエブロ族(プエブロに住む原住民)の征服と強制的な布教が目的だった。

ここの遺跡に廃墟として残る大きな教会はプエブロ族を労働力に使って築いたものらしい。スペイン人が強いる強制労働と貢ぎ物に次第に嫌気を募らせた各地のプエブロ族は、1680年遂に一斉蜂起してスペイン人達をメキシコに放逐した。ここペコスでも悪夢の痕跡を消すためキリスト教会が破壊され、宣教師達の命が奪われた。12年後再びスペイン人の統治が復活し同じ場所に教会が再建されたが、その教会も1838年にペコス族がこの地を放棄して以降永久に廃れてしまったのである。

征服者と隷属民の確執の地に残る廃墟は、無為な人の営みと時代の移り変わりを無言のまま今に伝えている。

ここにつづく】

ここからつづく】

クリスマスの連休を利用して訪れたニューメキシコは、まさに魅惑の地だった。

ニューメキシコの玄関口アルバカーキ空港でレンタカーを拾い、高速で2時間北にあるサンタフェに向かう。アルバカーキ自体海抜1600mの高さにある町で、空港に降り立ったときひんやりした空気に出迎えられたが、サンタフェはさらに500m高い高原にあり、近づくにつれ道路脇に残雪が現れ始めた。

午後早くサンタフェについて、まず町の中心にあるプラザに向かった。ニューメキシコの町や村落の中心にはたいてい公共の広場プラザと教会がある。16世紀にメキシコ経由で訪れたカソリック宣教団が築いた村落の名残だ。サンタフェのプラザでは寒々とした枯れ木と芝を覆う雪が冬の情景を効果的に演出していた。風があるわけでもないのにとにかく空気が冷たく、手をポケット突っ込んで歩かないと凍えてしまう。子供時代の寒かった日本の冬を思い出し、またロサンゼルスの温暖な冬のありがたみが身にしみた。

近くにあるサン・フランシスコ・デ・アシス聖堂に立ち寄ると、ちょうどクリスマスの昼のミサの最中だった。この教会はニューメキシコ州と隣のアリゾナ州の一部を傘下にもつサンタフェ教区の頂点に立つ存在で、2005年にはローマ法王から世界に1500弱しかないバジリカ(司教座聖堂)という有難いステイタスを与えられたそうだ。

この教会は見てのとおり、期待していたスパニッシュ風建築ではない。それもそのはず、1626年に最初に建てられた教会の跡に1886年に建てられた「近代」建築だそうで、美しい建物ではあるが、ちょっと予想外のゴチック様式である。

街をうろつこうと思ったら、クリスマスだけあってさすがの観光地もほぼ完璧に休日モウドで、そこそこ訪れている観光客も一様にアトラクションを求めて彷徨っている様子だ。たまたま開いていたカフェテリアからいい香りが漂ってくると俄かに腹が減っているのを思い出し、そこで軽い昼食をとることにした。

大きな祝日に開いている軽食店の庶民的な雰囲気を見て、あまり期待せず今日の当店おすすめ、えび入りケサディア(チーズを挟んで焼いたトルティヤ)とトルティア・スープのコンボを頼んだが、これが驚き!両手離しでうまかった。一緒に頼んだコーヒーもまったく申し分なく、到着一時間でいきなりサンタフェの外食業界の底力を見せ付けられてしまった。

店だけでなく美術館も露店も全滅状態のサンタフェ散策をあきらめ、今日の予定にはなかったが北のタオスに向かうことにした。サンタフェから北に向かう高速は、ロサンゼルスの交通に慣れた僕には呆気ないほどガランとしていた。魅惑の地には、ストレスは無縁なようだ。

まず目指したのは、昔写真でその鄙びた佇まいを見てから、じかに見ることをずっと楽しみにしていたサンチュアリオ・デ・チマヨ(チマヨ寺院)。サンタフェから走ってきた主要道路からそれて細い田舎道を進むこと10分、こんなところにあるのか、と訝るような素朴な風景のなかに、その寺院は僕が見た写真そのままの姿で建っていた。冬の今だから狭い駐車場に何とか車を停めることができたが、この山奥の小さな教会は年間30万人の敬虔な信者が訪れる全米屈指の巡礼地なのである。

伝説によると、17世紀はじめのあるイースターの週に光る山腹を掘るとそこから十字架が見つかった。最寄の教会に預けても気がつくと同じ場所に戻っていたという。これはありがたや、とその地に建てられた礼拝所がチマヨ寺院の前身だそうだ。この教会から自由に持ち帰れる「奇跡の土」は身体の患部に擦ると病が治るといわれており、建物のなかには歩けるようになった?人々が残していった松葉杖がたくさん残されていた。僕らには今のところ治したい病はないが、念のため持参のジップロックに土を分けてもらった。

念願のチマヨを訪問後、そのまま北に向かい、世界遺産に指定されているタオス・プエブロに向かった。プエブロとは、米国南西部のアメリカ原住民たちの伝統的村落のことで、プエブロには典型的にアドビ(天日乾の煉瓦)と壁土で建てられた建物がある。

この日はたまたまタオス・プエブロの祝祭の日に当たったらしく入場料は免除だったが、入り口で写真撮影は一切禁止と念を押されてしまった。1000年の歴史を持つプエブロの広場ではバファロウや鹿など動物の面をかぶった半裸の男たちが素朴な音頭に合わせて儀式を行っていた。分厚い上着を着ていても寒さがこたえる空気のなか、伝統とはいえ少々気の毒である。プエブロの入り口近くには美しい古いスパニッシュ様式の教会もあり、いずれも写真に収めて読者の皆さんにご紹介できないのが心残りだ。プエブロの出入口で交通整理にあたっていたお巡りさんに頼み込んだら、なんとか入り口の看板前の記念撮影だけは許してくれた。あいにく夕日の反射で看板の文字は見えないが、はるか右奥の茶色の建物がその世界遺産のプエブロ建築である。これじゃわかんないか。残念ながらこの辺で夕闇が迫る時間になり、もう少し見たいものはあったがサンタフェに引き返すことにした。

サンタフェに着いたころにはとっぷり日は沈み、寒さにひときわ鋭さが加わっていた。街中で建物の屋根という屋根にファロリトと呼ばれるサンタフェ名物のクリスマス装飾が灯されていた。ファロリトは別名ルミナリアとも呼ばれ、幼いイエスの精霊を導くため伝統的にクリスマスイブに灯される。簡単に言えば、紙袋に砂の重しを入れロウソクを灯したものだが、厳しい冬の気候のなか、最近はやりの青白いLEDライトに比べてなんと温かみのある装飾だろう。あまりに気に入ったので、来年のクリスマスには我が家でも飾ろうと思っている。

ホテルの部屋に入ると、大きな暖炉が部屋を暖めていてくれた。凍えるような外気から戻ってきて、これほどありがたいものはない。しばらく暖をとってから街に夕食に出かけた。徒歩10分以内の距離だがこの寒さではもはや歩く気も起こらず、予約したプラザ近くのレストランまで車で出かけた。

値段の割に期待ほどではなかったサンタフェ料理の夕食後、昼間あれほど殺風景だったプラザを通りがかると、そこは夢の国さながらの情景に変わっていた。見る人がほとんどいないのはもったいない限りだが、僕らだけのために飾ってあると思えば寒さも気にならない。

ここにつづく】

昨晩ラップトップがなんとか復旧した。いろいろと蘇生を試みたが今回のウイルスはタチが悪く、結局ハードディスクの内容をすべて消して、一から再インストールすることになってしまった。万一運悪く感染してしまった人の参考のために日記にしておきたい。まず今回の不運が起こったステップは:

1. ブラウザー(IEとファイアフォックス)に組込みのサーチウインドウからグーグル検索をかけて、開いた検索結果をクリックするとまったく関係ないサイトに飛んでしまう

数年前から出回っているクリックジャックというウイルスらしい。これを駆除できれば大事に至らなかったのだろうが、結果的には手を打つ前に無理矢理次のステップに突入させられてしまった。

2. クリックジャックに悪質サイトに飛ばされて悪質ソフトに感染してしまう

一見普通のグーグル検索結果画面が表示されるので、その画面からリンクをクリックすると全然無関係な他の検索サイト(おまけに検索能力なし)や、誰も興味を持たないようなチンケなサイトや、状況によっては見たいがいまは見たくないようなサイトや、そして開いた途端に悪いソフトをインストールする悪質サイトなどに勝手に連れて行かれてしまう。僕が送られた先は、以前会社で社員が感染したことがあるのでお馴染みの画面だった。画面が開くと、なにやら自動スキャンしているようなポップアップウインドウが開き、次々と感染の報告が現れる。このスキャンも結果報告もウソだが、しつこい悪質ソフトAntivirus 2010に感染したのは事実である。

この悪質ソフトは、マカフィーやシマンテックなどの「全国ブランド」セキュリティソフトでは太刀打ちできない。事実、僕の家のコンピュータにはすべて気休めでマカフィーを入れているが、今回も餌付けされた番犬のようにコロッと感染を許してしまった。どうでもいいメッセージばかり出してこの手の深刻な攻撃に効果がない割にはPCの反応を目だって遅くするマカフィー(など)は本当に必要なのか、という疑問が生まれている。

さて、解決策だが、効果抜群と巷で評判の無料駆除ソフトMalwarebyte’s Anti-Malware(MBAM)をご紹介しよう。会社で何度も他のセキュリティソフトが見つけられなかった悪質ソフトを見事に見つけ出して駆除してくれた実績がある。インターネットでは、悪質ソフトを見つけてやるが駆除したければ金を払え、という悪質ソフトと同じくらい悪質な自称セキュリティソフトが多いなか、このソフトは最後まで無料でしっかり面倒を見てくれる。今回の僕の場合は、感染した悪質ソフトの影響で何度試してもスキャンの途中にPCがフリーズしてしまい結局駆除にはいたらなかった。転ばぬ先の杖、一度試してみてはいかがだろう。

http://www.malwarebytes.org/

ついでに、ファイアフォックスを使っている人は、次のアドオンを使えば、クリックジャッキングほかウエブサイトに仕込まれた自動プログラム(スクリプト)の実行をコントロウルすることができる。信頼するサイト毎にスクリプト実行を許可しないといけないのがちょっと面倒だが、一度許可すればあとは忘れていいので手数の値打ちはあるかもしれない。 なお、近年不必要なスクリプトやうるさい画像を満載にしたサイトが多いなか、昔の静かなブラウジングが好みの僕のような人にもお勧めだ。

https://addons.mozilla.org/en-US/firefox/addon/722

最後に、インターネットで回っている駆除マニュアルをすべて鵜呑みにしてはいけない。特に駆除ソフトを標榜しながら実はこっそりウイルスやスパイウエアを植え付けるソフトが多いことはご想像のとおりである。今回僕が感染した悪質ソフトもそもそもセキュリティソフトという触れ込みだし、画面もそれらしく作ってあるので騙される人は少なくないと思う。この悪質ソフトに感染しただけでは飽き足らずに、画面の指示に従ってクレジットカード番号を渡してしまった人の話も聞いた。ともかく二次災害にはくれぐれもご用心ください。

あなたに僕のような不運が訪れないことをお祈りします。

 

大晦日の昨夕ロサンゼルスに戻り、無事自宅で新年を迎えました。今年は週末とつながり三が日が休みになったので、朝からブログ仲間の皆さんのところにお邪魔してご挨拶、と思ったら、どうやらラップトップがクリックジャックというスパイウエアに感染してしていたらしく、うっかりグーグルしたら悪いウエブサイトに飛ばされて、あっという間に質の悪いウイルスに感染してしまった模様。新年早々不覚である。

そんなわけで個別のご挨拶は少々遅れますが悪しからず。今年もよろしくおつきあいのほどお願いします。

12月25日の早朝、前もって予約しておいたタクシーでロサンゼルス空港に向かった。温暖なロサンゼルスも、さすがに冬の朝6時は肌寒い。今朝僕はずっとしまい込んであった毛皮モコモコの革ジャケット、りす坊はダウンジャケットという出で立ちである。しかし、それはロサンゼルスの早朝の寒さをしのぐためではない。ニューメキシコの氷点下の気候に備えるためなのである。

温暖な気候にボケきった僕ら夫婦は、最高気温が氷点下の冬のニューメキシコを訪れるという無謀な計画を立ててしまった。いくら寒いといってもそれほどひどくはないだろうとよく調べもせず本物の冬の気候を舐めてかかったのである。

さてつい先ほどこれから3日間お世話になるサンタフェの宿にチェックインした。クリスマスでほとんどのレストランが閉まっており、候補に挙げていたレストランの一つで辛うじて取れた予約を待っている間にこれを書いている。(僕らにとって)極寒のニューメキシコの旅、どうなるのか。続きはロサンゼルスに戻る新年を待てっ。

ここにつづく】

土曜日は朝から雑用を片付けたあと、うちの買いものと会社の備品の買い出しを兼ねて遠くまで外出したので、帰りが遅くなってしまった。家方面に向かう高速でりす坊に腹具合を尋ねたら、「お好み焼き気分」という答えが返ってきた。ということで、久しぶりに家の近くのお好み焼き屋さんに向かった。家では時々りす坊が焼いてくれるが、外でお好みを食べるのはたぶん1年ぶりくらいだろう。実際、外食したという達成感が少ない外食ではある。今夜はお好み気分の人が多かったのか店は大繁盛だった。夕食後、買い忘れたものを買いに寄るついでに、クリスマスシーズンになると町内会で示し合わせて家々が立派に電飾される住宅街に足を延ばしてみた。2年前に訪れた記事を覚えている方もおられるかも知れない。

トーランス市の南にあるこの住宅街の一帯はクリスマス電飾で有名で、今頃の季節になるとロサンゼルス各地から車で人が押し寄せてくる。最初に行った時まだ事情がよくわかってなかった僕らは、車で住宅街に入って身動きが取れず、見物どころか大変な目にあった。それ以降見に行くときは車をちょっと離れたところに停めて、歩いて見て回ることにしている。

今年も意匠を凝らした電飾で飾られた家々を楽しもうと多くの家族連れが繰り出していた。キャディラックのコンバーチブルに乗ったサンタが子供達に手を振り、街角では高校生のブラスバンドやアロハシャツを着たウクレレオーケストラがクリスマスソングを演奏していた。ところで、前回来た時よりたくさんのクッキー/コーヒー・スタンドが店開きしていた。騒がしい客寄せの女子高生達の嬌声が雰囲気にやや水を差していたが、まあそれもありか。

毎年毎年この地域にお住まいのみなさんの奉仕精神には頭が下がる。ここに住んでも、僕らにはこうまで立派な電飾は無理だね、と話しながら一軒ずつ見事に飾られた住宅を見て楽しんで歩いた。我が家では今年もクリスマスらしいことはほとんどしていないので、せめてものクリスマス気分を味わうことができたように思う。

空前の不景気の中で迎えたクリスマスシーズンだけに、ここに集まった多くの人が同様に感じていたことだろう。メリー・クリスマス。安全で、楽しみいっぱいのクリスマス・シーズンをお過ごしください。

いくら不景気でも、年末は忙しい。年末になると税金だの業績予想だのクリスマスカードだのギフトだの挨拶回りだのクリスマスパーティだの従業員のボーナスだの保険更改だのと、とにかく手間を取られる。そんな忙しさも、金曜日を迎えて一段落した。

忙しかったこの一週間、毎晩家に帰る楽しみがあった。ご想像のとおり(?)愛妻の顔を見るのが毎夕楽しみなのは申し上げるまでもないが、先週末見つけたタワー・レコーズのオンライン店で注文したオーダーの到着を毎日毎日待っていたのである。それが遂に今日、家に着いていた。

ご存じタワーレコーズは日本ではいまも健在だが、米国では2006年にチャプターイレブン(日本でいう民事再生法)適用を申請、全米の店舗を売却して米国での半世紀近い歴史を閉じた。独身時代サンフランシスコやロサンゼルスのタワーレコーズで夜の長い時間を過ごした僕にとってひとつの時代の終わりを感じさせる寂しいできごとだったが、かといってタワレコがいま残っていても、果たして立ち寄ることがあったかどうか。ふと、店からLPレコードが消えあっという間にCDに入れ替わった20年前のことを思い出した。

たまたま見つけたタワレコのウエブサイトは熱帯雨林に比べればかなり見劣りするちゃちなサイトだが、珍しいものを探すには格好の場所である。何が欲しいでもなく見ているうちに、懐かしいLPに目が留まった。ちなみにLPはビニール製ではないのに、なぜか英語ではバイナル(vinyl)と呼ばれる。

ロックと小説とメロンパン好きのさるくまさんもお気に入りのアビーロウド。なんといまクリスマス・セイル中だった。中学のころ買った日本版LPと、高校の頃買った英国版LPと、CDになった頃米国で買った米国版CDを持っているのに、ただ特売というだけで欲しくなった。所有のLPはいずれも日本の倉庫に入っているのである。家にターンテイブルがあるわけでもなく、聞くだけならMP3に落としているので不自由はないのに、気がついたらもう画面は、お買い上げありがとうございましたになっていた。

 

このアルバムは多くのロックファン同様、僕にとって単なる音楽を超えた存在である。自分史のBGMといってもいいかもしれない。いつも一曲目のシュッ、シュッというのを聞いたが最後、何をしていても必ず終わりのおまけの曲までぶっ通しで聞いてしまう。音楽の完成度と釣り合うアルバム構図の完成度の高さ。まるで遠近法を熟知したダビンチが撮影した写真のようだ。この音楽を聴けば1969年のロンドンの恐らく世界一有名な通りのこの風景が思い浮かび、このアルバムを見れば、空が青いから泣きたくなる、とか、あなたはお金をくれたことがない、とかいうメロディが頭に浮かぶ。まるでパブロフの犬である。そんなわけで、到着と同時に4枚目のアビーロウドはラップ掛けのまま額にはいり、我が家のささやかなギャラリーに加わることになった。

大きな声では言えないが、このLPは僕にとってある意味愛妻を超える存在かも知れない。

四隅

米国に一カ所だけ四つの州が接する点がある。称してFour Corners(四隅)というが、さて、それはどこにあるでしょう。

 

上の写真は3年前立ち寄った時に撮った写真だが、クリックすると正解がご覧いただける。行ってみるとなんのことはない、ただの荒野の更地にプレイトが埋め込まれているだけなのだが、なにか特別なところに来たような不思議な気分になる場所だ。まるで365日のうちどの日が一年の始まりでもいいのに、取り立てて元旦をありがたがる気持ちと似ている。

このクリスマス、この四隅の右下(南東)に当たるニューメキシコ州に出かけることにした。ニューメキシコには米国の建国より古いサンタフェ、タオス、アルバカーキなどの古い街があり、いまでもインディオとスペインの影響が色濃く残る土地だ。ジョージア・オキーフやD.H. ローレンスをはじめ、たくさんの芸術家を引きつけたエキゾチックな風土は古くから西部劇の舞台にも描かれ、またここで日本に落とされた原爆が製造されたり、50年代にはUFOが墜落したりした。

ニューメキシコはロサンゼルスから車で行くには遠く(片道約1400キロ)仕方なく飛行機で行く。現地では州内を上下左右に走り回り、米国南西部の香り豊かな風土をたっぷり味わいたいと思っている。どうか旅行記にご期待いただきたい。